晴れたり、曇ったり。

ゆるゆると生きる道を模索してます。

私はあえて申し上げる。ノー ウォーだ! 「青天を衝け」 第40回『栄一、海を越えて』

こんばんわ
本日も20時に更新できました。たまきです。

土曜日は大河ドラマの感想です。


(目次)

青天を衝け 第40回『栄一、海を越えて』

あらすじ

アメリカでは日増しに排日の機運が高まっていた。
実業の第一線を退いた栄一(吉沢 亮)は、日米関係を改善しようと妻・兼子(大島優子)と渡米。
特別列車で全米60の都市を巡り、民間外交に奔走する。
しかし、その道中、長年の友、伊藤博文(山崎育三郎)暗殺の知らせが飛び込む。
一方、渋沢家では、篤二(泉澤祐希)が再び問題を起こし、責任を感じた栄一は苦渋の決断を下す。
そんななか、慶喜(草彅 剛)の伝記の編纂(へんさん)は大詰めを迎えていた。
栄一は慶喜から意外な言葉を聞かされる。

www.nhk.or.jp

感想

実業界から身を引く栄一。
身の引き際がつかめなかった慶喜

栄一

60社もの会社から身を引き、
アメリカを横断する民間外交に突入します。
旅には兼子も一緒です。
兼子は栄一の妻として20年以上共に暮らし、栄一を支えます。
お千代さんも安心かもしれません。

大統領とも会談し、
「日本とはピースフル ウォー。平和の戦争、商売の戦争に挑む」と呼びかけられます。

1909年(明治42年)10月26日、中国ハルビン伊藤博文が暗殺されました。
そのことは旅を続ける栄一にも伝えられます。

今の日本は流行り病にかかったようだ。
尊王攘夷の流行り病があったように、
また新たな流行り病が日本を覆ってるようです。

ふたりが出会ったのは明治時代になってまもなくでした。
栄一は旧幕臣伊藤博文は討幕派で
経済と政治の両面から日本を創っていきました。

栄一はスピーチの途中で今の気持ちを伝えます。

「考え方の違いを理解しようとしなかった。
相手を知れば、無益な憎しみあいや悲劇は免れた。
みなさんの目を見て申し上げる。
日本人は敵ではありません。
われわれはあなた方の友だ。
日本からの移民はアメリカの役に立ちたいという覚悟を持ってやってきました。
どうか憎まないでいただきたい。
互いが嫌がることをするのではなく、
手を取り合いみんなが幸せになる世をつくる。
私はあえて申し上げる。
ノー ウォーだ!
世界のみんなに広がりますように」

栄一は戦争ではなく、平和友愛で経済を盛り上げようと、
今後の方針が定まったようです。

日本に帰国し、しばらくたってから栄一の長男の篤二が家出します。
玉蝶という芸者と家を持ち、妻の敦子を追い出そうとしました。
子供もいるのに、どうして篤二は過ちをくりかえすのでしょうか。
そして栄一の遺言書により、
篤二は廃嫡、株券土地を没収し敦子夫人に譲渡となりました。

喜作は篤二の子供、敬三に話します。
「人には向き不向きがある。
おれは商売は向いてなかった。
いちばん心がおどったのは一橋で励んだ時、函館まで戦った。
栄一に腹を切れと言われた。
篤二も後ろ指さされるだろうな。
篤二はがんばったが、ただ向いてなかったんだ」

さらに走り続ける栄一に諭します。
「少しは諦める心を覚えろ。
だれもがおめえみてえに前ばっかり向いて生きられるわけないんだからな」

そして喜作は大正3年に亡くなります。
喜作、成一郎、もう一人の渋沢。
土方歳三は成一郎の生き様をどう見たのでしょうか。
「お主には生のにおいがする。
生きて日の本の行く末を見届けろ。
そのほうがよほどつらいかもしれぬ。
行け」
tamaki-sunny-cloudy.hatenablog.com

北海道JR十勝清水駅から徒歩2時間の場所に、大勝神社を建立した喜作。
徒歩2時間は紀行ファンも驚きますw
さすが喜作w

栄一は孫の敬三に、農科ではなく法科にすすみ実業家になってほしいと頼みます。
「どうか言うことを聞いてくれ。お頼みする。決して命令ではない。
日本を支えることを己の使命としてほしい。
私が愛したように、実業の世界を愛してほしい。どうか頼む」

栄一は自分がしたいことをしたくて家を出たのに、
篤二には逃げられ、孫の敬三に頭を下げます。
あまりにも大きくなりすぎた渋沢家は、どうなるのでしょうか。

f:id:tamaki_sunny_cloudy:20211225190909j:plain

慶喜

太夫がパリにいたころ、大政奉還が行われました。
民部公子のパリからの手紙は、篤太夫の気持ちが混ざったものです。
この返事は40年以上の時を経て、徳川慶喜公伝となりました。

江戸に戻ったころに天璋院に自害を言い渡され、
新政府や徳川幕府に不満を持つ者の反乱を防ぐため、
徳川幕府の再来を待つ者が担ぎ上げないよう、
慶喜は輝きを消し、
死に際を迷走し続けました。

生きていてよかった。話をすることができてよかった。楽しかったな。
尽未来際、共にいてくれて、感謝しておる。
快なり。快なり!快なりじゃ!

徳川将軍一の77歳の長寿をもって、
最期に光明が差しました。

\快なり/\快なり!/\快なりじゃ!/

www.nhk.or.jp

今週のこんばんは徳川家康です。

ドラマの本編に関係あったりなかったりする、ほのぼのコーナーです。

徳川慶喜公伝をめぐる
www.shibusawa.or.jp

国立国会図書館デジタルコレクション
栄一の話は長い。(41ページ)
dl.ndl.go.jp

大阪城脱出はどこから行われたのか
公伝があったからこそ分かる内容ですね。
www.youtube.com